中村天風先生の作品 軸 中心の紹介です。(山本コレクション)
天風先生の作品は、気が溢れていて とても気持ちの良いものと感じております。
過去の作品は、横のタブからご欄下さい。
244.★掲載終了「万法流転 円相」
「万法流転 円相」です。
掲載できるものがなくなりました。今回で、一旦終わります。また、掲載できるものがありましたら、upしていきます。
天風先生は、「諸行無常」と同じ意味で「万法流転」をよく使われていたそうです。(杉山先生 ご講演より)
万法:あらゆる法則。すべての法律や規則。
流転:《名・ス自》仏教で、生死・因果が輪廻(りんね)して、きわまりがないこと。一般に、一つの状態にとどまらず、移り変わって行くこと。
243.★又辞シリーズ完了「十牛訓 第十図 入鄽垂手 之又辞 1967年 冬日」
第十図 入鄽垂手です。本シリーズも完了です。
悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益です。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要があります。
鄽:人々が住む町のこと(汚染した俗界のこと。)
垂手:人々を教え導き、救いの手をさしのべること
購入先の文章は以下の通りです。
・以下、湘南堂書店(購入先) より
十牛訓 第十図 入鄽垂手 之又辞
袖裏金槌劈面
来胡言漢語笑
一千九百六十七年 冬日 天風
槌:物をたたく道具。柄の先に円筒状の鉄・木などがついている。ハンマー。
劈:つんざく/さく/切り裂く
顋:えら/あご/あぎと
註
袖裏金槌劈面来る
胡言漢語笑満顋
相逢若解 不
相識樓閣門庭
八字に開く
花押
・以下、webより
「鄽(てん)」は、汚染した俗界のこと。
「垂手」とは手を垂れることであり、人々に教え導くこと。
だから、この段階は、悟った人が、自分だけ救われて、そこに安住するのではなく、布袋の如く、巷に入り、実践的に現実の世界に働きかけるということである。
悟りの境地を得たとしても、自分ひとりだけが、それで安らかになっただけでは、まだ十分ではない。
世の人々を救ってこそ、初めて最高の境地に達するということなのだ。
しかも、この境地に達した人は、それまでの第一「尋牛」から第九「返本還源」にいたる厳しい修行の痕跡もなく、ましてや、悟りを得たというような素振りさえも見せず、ただただ、自由自在、天然無為に生活するのだという。
大きなお腹をして、胸をさらけだして、大きな袋と杖を持って、気ままに歩く布袋さんのように…。
修行の最終目標は、ここにあったのだ!
この段階に至った人は、「枯れ木のように精神に生気が無くなった人にも、新たな生命を吹き込んで花を咲かせるような力を持つ」と言う。
そしてその力は、なんと実は、全ての人に、本来備わっているのだと、仏教では教えているのである。
長い時間をかけ、厳しい修行に耐えた末の最終目標、最高の境地が、「俗世に戻り、他の人々を救うこと」だったのだ。
正直に言うと、これまでの難解なプロセスからしたら、私には、この結末は何となく当たり前すぎて、やや意外に感じられた。
しかしながら、実際、この段階に達した人を探し出すのは、難しいと思う。
なぜなら、その人は、巷の中にいて、一見、平凡な人にしか見えないかもしれないから。
242.又辞シリーズ「十牛訓 第九図 返本還元 又辞 1967年 初冬」
第九図 返本還元です。本(もと)にとって返す、元に還るということです。螺旋(らせん)が描く円は、一周して元に還りますが、それで終わりではありません。次の新たな巡りのスタートともなります。スパイラル(らせん)成長です。
購入先の文章は以下の通りです。
・以下、湘南堂書店(購入先) より
十牛訓 第九図 返本還元 之又辞
用尽機関費
断来時路百鳥
不啼花乱紅
一千九百六十七年 初冬 天風
惺:さとい/賢い/さとるなどの意味
惺惺:(頭が)はっきりしている、明晰である、(意識が)しっかりしている
草鞋(わらじ):稲藁で作られる日本の伝統的な履物(サンダル)の一つ
註
機関を用い尽くして功を
費す惺ヽ底の事聲に
若かす草鞋根断来
時之路百鳥啼かず花
乱れて紅なり
花押
・以下、webより
十牛訓 第九図 返本還元
第九は「返本還元」と名付けられています。「元に返り源に還る」です。禅の説明ですと、「死して蘇る」(絶後再蘇)という言葉がここに現れてきます。この第九図に対しては、「死しては甦る」ことと同時に、詩の中では「花は自ら紅、水は自ら茫々」とうたわれています。第一の「尋牛」から始まって、「真の自己」になるという道を歩んできました。そして第七で「これでいい」という自分になって落ち着いてしまうと、「俺は俺だ」という自我的な自分に舞い戻ってしまう可能性が残りますから、そのような自己が第八の空円相でもう一度徹底的に打ち消されて、そして第九で甦った。ですから、「花は自ら紅、水は自ら茫々」、これがそのまま、甦った真なる自己のあり方を示しているのです。
茫:ぼんやりとしているさま/はるか/はてしないさま/遠い/広い
茫茫(ぼうぼう):広々としてはるかなさま。「茫茫とした大海原」「茫茫たる砂漠」
241.又辞シリーズ「十牛訓 第八図 人牛倶忘 又辞 1967年 晩秋」
第八図 人牛倶忘です。
誰もいなくなり、あるのは空白だけです。禅で言う「円相」の世界が描かれています。真の自分さえも消え去り、ゼロになったのです。
購入先の文章は以下の通りです。
・以下、湘南堂書店(購入先) より
十牛訓 第八 人牛倶忘 又辞
凡聖無蹤路不
通明月堂前風
一千九百六十七年 晩秋 天風
碎:くだく/くだける/細かく割れる/粉々になる
蹤:行方/したがう/後について行く/あと/足あと/物事のあと/痕跡
颯颯:風が吹くさま。「寒風―として天にほえる」
註
一鎚撃ち碎く太虚空
凡聖跡無くして経通
せず明月の堂前に風
颯ヽと吹き百川水として
朝宗せざるなし
花押
・以下、webより
今回の「十牛図」には、何も描かれていません。第1図からずっと描かれてきた、旅人の姿も見えません。まさに「空(くう)」です。自分の都合も、立場も、知識も、経験も、すべて空っぽになった状態です。
旅人は、自分のやるべきことは何か、幸せとは何かを探していました。「さとり」とは、その答えが自分のなかにすでにあったと気づくことです。しかし「十牛図」は、その「さとり」でさえ忘れなさいと説いています。ひとたび目標や幸せに気づくことができたなら、もはやあれこれ考える必要はないからです。
240.又辞シリーズ「十牛訓 第七図 忘牛存人 又辞 1967年 夏日」
第七図 忘牛存人(牛のことを忘れる)です。人と牛とが一体となった段階です。
・以下、webより
人と牛とが一体となった段階をあらわしています。牛は、追いかける目標でもあり、本来の自分の姿でもあります。そして、牛は存在しないのではなく、かくれていただけです。雲が晴れて月があらわれるように、はじめから自分の中に牛はいたのだと「十牛図」は教えます。
このことに気づくことを、仏教では「さとり」といいます。でも、牛を探そうと思わなければ、自分のことすら分からないままです。
購入先の文章は以下の通りです。
・以下、湘南堂書店(購入先) より
十牛訓 第七 忘牛存人 之又辞
歸来何処不家
山物我相忘鎮日
閑須優通玄峰
頂上箇中渾
不類人間
一千九百六十七年 夏日 天風
歸:「帰」は旧字体。この左側の部分からまず「止」が省略され、さらには残された部分(「追」から「しんにょう」を省いた形)が、「自」へと変化しました。
渾:まじる/すべて/にごる/盛んに水が流れるさま
註
帰り来れば何れの処か
家山ならざる物我相忘れ
終日閑なり須らく信ずべし
通玄峰上のほとりこ(古)の中
すべて人間に類せず
花押
239.又辞シリーズ「十牛訓 第六図 騎牛 又辞 1967年 夏日」
第六図は 騎牛です。
“牛に乗り笛を吹く牧童”「騎牛帰家」は、絵として色々と描かれています。「自分自身を馴らし、操ることができるまでに精神的に成長した姿」となります。
購入先の文章は以下の通りです。
・以下、湘南堂書店(購入先) より
十牛訓 第六騎牛之又辞
倒騎得ゝ自帰
家蒻苙蓑衣帯
晩霞歩ゝ清風
行処穏不将寸
艸掛唇牙
一千九百六十七年 旺春 天風
苙:牛馬などを入れておく囲い/よろいぐさ/セリ科の多年草などの意味:
艸:くさ
註
牧童は牛の背上に
後しろ向きに乗り得ヽと
其上で笛を吹きつヽ
悠々と家路に就くと
いう意なり
花押
・以下、webより
自分自身を馴らし、操ることができるまでに精神的に成長した姿である。“牛に乗り笛を吹く牧童”「騎牛帰家」が描かれる。一方で、騎牛笛吹童子の図像は、山水画、とりわけ農耕図の中の点景としても描かれる。
238.又辞シリーズ「十牛訓 第四図 得牛 又辞 1967年 旺春」
第四図は 得牛です。購入先の文章は以下の通りです。得牛は、心の汚れや迷いを取り除くための修行の過程です。
・以下、湘南堂書店(購入先) より
十牛 第四得牛之辞
渠鼻頭縄索
末全除分明照見
帰家路緑水
青山暫寄居
一千九百六十七年 旺春 天風
艸:くさ
渠:①みぞ。ほりわり。「溝渠」 ②おおきい。広い。 ③かしら。「渠魁(キョカイ)」「渠帥」 ④かれ。三人称の代名詞。 ⑤なんぞ。疑問・反語を示す助字。
註
芳草天に連って渠
を捉い得鼻頭の
縄索末だ全く除かず
分明に照し見る帰
家の路緑水青山
暫く寄居す
花押
・以下、webより
得牛:牧人は綱をつけて牛を捕らえました。逃げ出そうと暴れる牛と格闘が始まります。この場面は、心の汚れや迷いを取り除くための修行の過程を示しています。
237.又辞シリーズ「十牛訓 第三図 見牛 又辞 1967年 陽春」
第三図は 見牛です。購入先の文章は以下の通りです。春にも色々とあるのだと思います。今回は、陽春です。
・以下、湘南堂書店(購入先) より
十牛 第三見牛之辞
驀面相逢不逐
聲此牛非白亦
非青点頭自許
微々笑一段風
光画不成
一千九百六十七年 陽春 天風
驀:たちまち/まっしぐら/のる/馬に乗る/のりこえる
註
直面しても聲を出さず
此牛白くも青くもない
綱に引かれてほゝえむが
如く風景の美しさ画
にも書けない
花押
236.又辞シリーズ「十牛訓 第二図 見跡 又辞 1967年 中春」
第二図は 見跡 です。購入先の文章は以下の通りです。なかなか意味が分かりません。
・以下、湘南堂書店(購入先) より
十牛訓 第二訓 見跡之又辞
見牛人少覚牛
多山北山南見
也廉明暗一條
去来路箇中
認取無他
一千九百六十七年 中春 天風
註
牛を見る人は少なく
牛を求める人は多い
山の北にも南にも見るや
否や明暗一條去来
の路こ(古)の中に認取すれ
ば別に他なし 花押
235.★又辞シリーズ開始「十牛訓_第一図 見牛 又辞 1967年 新春」
今回から、十牛訓の「又辞」のシリーズの開始です。今までに「辞」シリーズと「偈」シリーズを掲載してきました。今回は、「又辞」シリーズです。
前回の第一図は 尋牛(じんぎゅう) でしたが、本シリーズは 見牛 から始まっています。第三図も 見牛 となっております。理由がよく分かりません。
・以下、湘南堂書店(購入先) より
十牛訓 第一講 見牛之又辞
本無蹤跡是誰
尋誤入煙蘿
深処深手把鼻
頭同帰客水
邊林下自沈吟
一千九百六十七年 新春 天風
註
元来跡形もないので誰を
尋ねんようもない 誤って山
の深い深い(繰り返し)処にはいり込み
手に鼻頭を把って
一所に帰る 水の邊の林の中にも一人沈
吟するのみ 花押
234.「美意延年 三勿三行(さんこつ さんぎょう)」篆書二行 屏風
篆(れい)書の二行 の屏風です。
三勿三行(さんこつ さんぎょう):三勿(怒らず 怖れず 悲しまず)、三行(正直 親切 愉快)。黒の誦句集の先頭の誦句 吾等の誓(誓詞)にも書かれていますが、天風会の中心的な言葉です。
・以下webより
美意延年(びいえんねん):心を楽しませて、つまらないことにくよくよしなければ、自然と長寿を保つことができると言うことを表す四字熟語です。
【美】は、「たのしい」という意味です。【意】は、「こころ」の意味です。
『荀子』「致士:チシ。士を招く」篇にでています。
得衆動天。 衆を得れば天をも動かし、民衆を把握すれば天をも動かし、
美意延年。 意を美(たのし)ませれば年を延(の)べ、心を楽しませれば長生きし
誠信如神。 誠信なれば神の如く、誠実であれば神明のようであり
夸誕逐魂。 夸誕(コタン:おおげさででたらめなこと)なれば魂を逐(うしな)わん。ほら吹きであれば精魂を失う。
くよくよしないで、いつも楽しむ気持ち、を持っているのが元気で長生きできることのようです。
勝海舟が好んだ言葉だそうです。
勝海舟は、頼まれれば好んで【美意延年】と揮毫(キゴウ)したそうです。
233.「鍾馗(しょうき)様」1957年 端午の節句
天風先生は「鍾馗」について、勇気の誦句で以下のように山岡鉄舟と浅利又七郎の勝負を表現されています。鍾馗は、鬼に勝つとの事です。
Webで調べた「鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。」の通りになっています。
・以下、勇気の誦句 より
「悔しいけれども、どうにもしようがねえ。ずっと唸っているだけなんだ。油汗はたらたら出てくる。「ハハハハッ。なあ、鬼。鬼のかなわねえのは鐘馗(しょうき)だって話を聞いたなあ。ハハッ、俺が鐘馗だ。おう、立っているだけじゃ夜が明けるぞ。俺は構わず前へ進んで行くぞ。てめえ、そこに立っていると、喉が突き抜けるぞ。突かれるのが嫌だったら後へ引きやがれ。手をださず。行くぞ」。
・以下、webより
鍾 馗(しょう き)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。
鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。
・端午の節句に鍾馗様を祭るのは、魔よけのため
唐の国の玄宗皇帝がマラリヤにかかったとき、夢に小鬼が現れて楊貴妃の紫香嚢と帝の玉笛を盗んで逃げようとするところを、大鬼があらわれて食い殺したので、帝がおまえは何者か?と訊ねました。
すると「私は終南山の鍾馗といいます。官吏になるための採用試験に落第して自殺しましたが、丁重に葬られましたので、恩に感じて天下の災いを除く誓いをたてました。」と告げました。
夢から覚めると病はすっかり治っていました。喜んだ帝は、画家に命じて夢に見た鍾馗(ショウキ)を描かせました。
これが日本に渡来してきて、五月の節句の魔よけとして飾られるようになりましたが、なぜか関東中心で、京阪にはあまり見られません。
江戸では山王祭り、神田祭その他の山車の人形に鍾馗をよくつかったので、おなじみとなったのでしょう。
1.和 嘉祥生 昭和40年
「和」の義は、相剋(そうこく)せざる結合、換言すれば不可分の統合、即ち、YOGA(ヨガ)である。(哲人哲語 より)
今回の作品は、開運なんでも鑑定団 にも出られている㈱思文閣さんから購入したものです。昔、致知に天風先生の軸が掲載(㈱思文閣の広告2004年9月)されていました。
天風先生は、この「和」の揮毫を多くされています。
哲人哲語 8 和の義 (創立三十周年祝賀に際して) では、以下のように「和」について説明されています。
和とは、愛憎を超越した親しみ、陸みだという事は、何人と雖(いえど)も知って居る。然(しか)し、それは和の義ではない。和の諦(たい)である。即(すなわ)ち、和なるものを演釈した意語である。
そも、和の義とは、要約すれば、相剋(そうこく)せざる結合、換言すれば不可分の統合、即ち、YOGAなのである。この消息は、和の字源を尋ねる時、一切は明瞭となる。字源は、和の文字を「輪」より、胚胎(はいたい)したものと教える。それは、和の篆(てん)が、過般予が説道三十周年の記念に頒布せる色紙に揮毫(きごう)した「禴(まつり)」という劃形(さいけい)で作為されて居る事に想到すれば、即座に首肯されると惟(おも)う。