121.「勿慢(慢する勿れ」

 慢を調べると「マン おこたる・あなどる:1.他を軽んじて自らをよしとする。たかぶる。「慢心・傲慢(ごうまん)・我慢・自慢・驕慢(きょうまん)・高慢・暴慢、2.進みがのろい。だらだらと長びく。「慢性・緩慢・慢慢」」とありました。

 

 心を磨く・中村天風講演録には、以下のように述べられています。自慢などの慢しないことが大切です。

 

 「理知も、「心の使い方」しだいでありがたくないものになる p179

 結局、理知階級が、その理性を正しく統御する意志力が出ないで、理知力だけで人生を生きようとすると、いきおい、どうしても理知が煩悶を起こさせる導火線になるんですよ。

 だから理知というものをそういう一面から考えると、ありがたいような、ありがたくないようなものと言えるんだ。

 使い方さえよけりゃ、もう今も言ったとおり、非常な切れ味が出るんですが、使い方が悪いてぇと、てめえの体を切ったりして怪我するぐらいが落ちなんだ。

 だからこういう点から考えても、どうしても普段の心の使い方、あだやおろそかにしちゃいけないんだっていうことがわかりそうなものだけれども、心の急ぐときや、慣れた仕事や、面白みのないこと値打ちのないことをするときは、いつもすーっとこうやって・・・。

 実に現代人は、自己自身の心でありながら、自己自身の心を使うとき、にもう実にそれは粗忽千万(そこつせんばん)以上の、ぼやーっとした気持ちで行っている場合が多い。

 だからそういうやつが、現の証拠、即座にすぐ分かるのは、そういうやつに限って、第一物覚えが悪いわ。

 

 物覚えのが悪いのが、そういうところに原因があると知らないので、物覚えの悪いの何も自慢するわけじゃないけれども、格段恥ずかしいと思わないで、平気で言っているやつがあるね。」(心を磨く・中村天風講演録 理知も、「心の使い方」しだいでありがたくないものになる p179 より)