161.「布袋 画賛 身を思ふ心そ心くるしめむ 身をおもはねハ こゝろやすけれ」
真人生の探究に「悲観は、身を殺し、憤怒は悪魔の息吹なり」という言葉が記載されています。また、研心抄p91では、「身といい心と称するものは、真我の命が現象の世界に活きゆくための一切方便を行わんがための命への要具」となっています。身も心も命の要具だと思うことが大切です。
「心身の完成」(真理行修誦句集(緑)にまとめあり)
それ人の本体は肉身にあらず また心にもあらず。絶対にして不変また不朽不滅なる霊魂なり。
然(しか)るに人の多くは、この荘厳なる消息を悟る能(あた)わず、徒(いたず)らに肉身または心を人の本体なりと思い惑う。
そもや仮相は実相の姿にあらず。またその本質の現われにもあらず。
身といい心と称するものは、真我の命が現象の世界に活きゆくための一切方便を行わんがための命への要具なれば、ただこれを巧みに調整行使して、ひたすらその性能の完全なる発現を促進せざるべからず。
知らずや たとえ名工名匠といえども、その用具の 全きものなくば 恰(あた)かも腕なきに等し。
さればわれ人ともに、真にその人生に安定せんには、ただ一念わが命の要具たるこの仮相の存在を、より良く全からしむることを心がけざるべからず。
かくして初めて人としての正しき幸いをうくることを得ん。
悟らざるべからず 勉めざるべからず。」(研心抄p91より)