167.「怒る勿れ 怖るる勿れ 悲しむ勿れ 正直を守り 人に深切に 勉めて愉快に 心を保つ これ人生安楽の要訣なり」
天風会の「誓詞(ちかいのことば)」の一節です。「三勿三行」とも言われます。この実行については、叡智のひびき 箴言24に掲載されています。
誓いの言葉のどおりの人生に活きるには、「油断」せず、もっともっと精神使用の原則を尊重して、観念集中を現実にすることに努力することが大切です。
以下、叡智のひびき 箴言24 より
「油断をすると いつしか「誓」の言葉を空分にして活きていることがあるから 十分に気をつけなければならない」
せっかく毎朝「甦りの誦句」や「誓い」の言葉を心を込めて唱誦して、今日一日の人生を、できるだけ尊く、清く活きぬこうと心がけていたのに、ひょいと気がついてみると、いつしか消極的の感情のとりことなり、あるいは怒り、あるいは悲しみ、あるいは怖れまたは憎む、悩むという気持ちになっている自分を発見するというようなことをです。察するに、これはあえて初心の人のみでなく、相当教義に順応して生活しているはずの古参会員の中にも、この遺憾なことを経験されておられることと思う。
こういうふうに ときおり誓いの言葉を裏切るような心的状態になるというのは、これはそもそもいったいどういう理由なのか? というに、それはこの箴言の冒頭にある「油断」ということが、その主な原因なのである。
それも、精神感応性能の積極化ということが、完全に徹底的に成就すれば格別だが、そうでない限り、ちょっとでも精神態度の把持に「油断」という心的状態が生ずると、たちまち実在意識領を消極的な感情情念で占領させてしまうことになるのである。
だから、誓いの言葉のどおりの人生に活きるには、もっともっと精神使用の原則を尊重して、観念集中を現実にすることに努力しなければいけないのである。」(叡智のひびき 箴言24 より)