169.「善 色紙」
「善」の篆書(注1)です。(注2)「善」の元の字形「譱」は、「羊」をはさんで左右に「言」の文字が並んでいます。これは争い事の当事者である原告と被告の双方が「羊」を神の前に差し出して、それぞれの主張を述べている文字。このように行われる羊神判で、神の意思にかなうことが「善」となり「ただしい」「よい」の意味となりました。
天風先生は、「「善」とは「愛情」のことである。太陽の光線のように、あれこれと選ばないで普遍的な愛。」(運命を拓く 第5章 大いなる悟り)とおっしゃています。
造物主と同様の心になるには、心に誠と愛を満たし、和を旨とした生活をすることが大切です。
注1:篆書体(てんしょたい)は、漢字の書体の一種。 「篆書」「篆文」ともいう。 広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。
注2:善の由来・意味:「善」という漢字、「義」という漢字、「美」という漢字。これらにみな「羊」の字形が入っている。「最善」「正義」「優美」などの熟語を並べてみると、「羊」を含んだ漢字には特別な価値観が潜んでいそうに思える。
それは羊が神への生けにえとして最高のものであり、古代中国ではこの羊を神に捧げ争い事を裁く「羊神判」というものが行われるほどの動物だったからなのです。それゆえに「羊」の字形を含んだ漢字はたくさんある。その羊神判の様子をそのまま表している漢字が「善」。この「善」の元の字形「譱」は、「羊」をはさんで左右に「言」の文字が並んでいる。
これは争い事の当事者である原告と被告の双方が「羊」を神の前に差し出して、それぞれの主張を述べている文字なのです。このように行われる羊神判で、神の意思にかなうことが「善」となり「ただしい」「よい」の意味となった。
運命を拓く 第5章 大いなる悟り p124
造物主(宇宙霊)の心は絶対に積極である。されば造物主の心とは「真」「善」「美」である。
「真」「善」「美」をもっと分かりやすくいえば、「真」とは「誠」である。「誠」とは一点の嘘偽りのないことが「誠」である。筋道が少しも乱れていないのが「誠」である。
「善」とは「愛情」のことである。
「美」とは「調和」のことである。
あなた方にも愛情はあるのだけれど、あなた方の愛情は偏った愛情である。すなわち自分の気に入ったものだけ可愛いがって、気に入らないものは可愛がりやしない。そういうのは本当の愛情ではない。太陽の光線のように、あれこれと選ばないで普遍的な気持ちで愛さねば駄目である。
太陽の光線は、美人の顔も照らせば、犬の糞も照らしている。「おれは犬の糞は嫌だから美人の顔だけ照らす」とは言わない。
ところが、あなた方は可愛いものだけを可愛がり、憎らしいものを憎む。第一、憎むという気持ちは、悪魔の気持ちである。もし自分が人から憎まれたら、どんな気持ちになるかということを考えてごらんなさい。あなた方は人に憎まれるのが好きですか。それとも愛されるのは好きですか。村八分にされるのを好きな人間はいないだろう。
だから、造物主と同様の心になるには、どんなことがあっても、心に誠と愛を満たし、和を旨とした生活をすれば造物主と自分との結び目が堅固にできる。消極的になると、自分では離れようと思わなくても、その造物主の大事な誠と愛と調和の気持ちから、離れてしまうのである。つまり結び目を、ほぐしてしまうことになる。