170.「見人一善忘百非」(人の一善を見て、百非を忘れる)
叡智のひびき 箴言16に「二千年の昔、中国の儒聖(じゅせい)の言葉に「およそ安楽の要訣(ようけつ)は、すべからく人の一善を見て、その百非を忘れるに如(し)くはなし」」とあります。
「恒に清濁(せいだく)をあわせ呑(の)む」ことが大切です。
二千年の昔、中国の儒聖(じゅせい)の言葉に「およそ安楽の要訣(ようけつ)は、すべからく人の一善を見て、その百非を忘れるに如(し)くはなし」というのがある。
また、西哲(せいてつ)の言にも「できるだけ人もなすことをほめることにつとめ、みだりに人を批判しないよう心がけ、万一、人の失策を見出したら、それを許すと同時に、忘れんようにしよう。そうすることで、汝(なんじ)の人生の最も幸福な日が楽しめる」というのがある。
これは、いずれも人生を完全に活きるには、要するに、恒に清濁(せいだく)をあわせ呑(の)むにありということを訓(おし)えている、尊い言葉である。
事実において、清濁をあわせ呑まない心でこの混沌(こんとん)たる人生を活きると、自分の活きる人生世界が極めて狭いものになる。
そして、その上に、ことごとに不調和を感じる場合が多くなって、しょせんは人生を知らず識らずの間に、不幸福なものにしてしまう。
というのは、多くいうまでもなく、その顔の各々それぞれ異なるごとく、その心もまた異なっている人々の中で活きていくとき、そうめったに自分の気持ちにぴったりと合致する人が、そうやたらといるはずがないからである。」
百非:様々な否定の事
・以下、webより
中国の儒教の教えに、「およそ安楽の要訣は、すべからく人の一善を見て、その百非を忘れるに如くはなし」という言葉があります。「人の良いところだけ見て、欠点には目をつぶれ。そうすれば、人間関係はうまく行き平和である」という尊い教えです。