195.「空 打坐之偈」

「怒中容易促 平和之氣 進退谷之時限 補捉円転滑 脱之氣 窮迫用之愁苦 之間淡然處以 一糸不乱之盤石 心」

 

「怒中容易に平和之氣を促し 進退谷の時限に円転滑脱之氣を補捉し 窮迫用で愁苦の間に淡然の處を以て一糸不乱の盤石 心」と読み下しました。

つまり、「安定打坐とは、怒っている時に平和の気持ちを促し、進退をする時に円転滑脱の気分を捕まえ、窮迫(追い詰められた)時に愁苦(思いなやんで苦しむこと)の間に淡然として、一糸不乱(完全に整っている様子)で盤石(しっかりしてゆるぎない)心」だと思います。

 

円転滑脱:言動が自由に変化して、物事が滞りなく進行すること。人との応対などがかどだたず巧みなこと。窮迫:追い詰められ、どうにもならないこと。特に、貧困がはなはだしくなること。 愁苦:思いなやんで苦しむこと。 淡然:あっさりとしたさま。静かなさま。淡々。一糸不乱:完全に整っている様子。一本の糸も乱れていないということから。「一糸、乱れず」とも読む。 盤石:非常に堅固なこと。しっかりしてゆるぎないこと。

 

 

 安定打坐について、詠まれているのだと思います。安定打坐考抄p30に、安定打坐は「瞬間活法」である。従って、怒っている時にも平和の気を出すことができます。なぜなら、何も考えない時間を作ることにより、消極的暗示を一掃することができるからです。消極的観念が排除されれば、そこに燦然たる根本心が発現するのが当然です。

 

・以下、「安定打坐考抄」p30より

「この密法を「心に与える瞬間活法」と云うて居る・・とにかく迷執煩悩に対する根本的の解脱法なりと、云い得る方法なのである。

 これあるが故にいやしくも、精神に不安定の点ありと思う人、又は肉体に病を持つ人。否何人と云わず一度この方法を体得徹底すれば・・・

悠々喜楽、そも人世苦何処にありやと云う盤石不動の大定の人となり得るのも又必定である。

 即ちこの密法は心の堂宇(消極的暗示)を一掃すると同じ結果が来るからなので、元来人間の心力の弱るのは外界に存在する暗示事項に、心が感応するからなので、俗にいう心の垢よごれとは消極的の暗示に心が感応してその消極的の観念が心中に纏綿(てんめん)しているからなのである。ところがこの「安定打坐密法」を行うと、この心の垢やよごれを、自然に払拭することになるから、その結果心力が強くなるのである。

 すなわち、心に付着した消極的観念と云う垢よごれが排除されれば、そこに燦然たる根本心が発現してくるのは当然のことでしかも、その根本心たるや、実に強い強い積極的なものであるから、この方法を行えば、心力の強まるのは当然のことである。

 

 

纏綿(てんめん):まといついて離れにくいさま