233.「鍾馗(しょうき)様」1957年 端午の節句

 天風先生は「鍾馗」について、勇気の誦句で以下のように山岡鉄舟と浅利又七郎の勝負を表現されています。鍾馗は、鬼に勝つとの事です。

 Webで調べた「鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。」の通りになっています。

 

・以下、勇気の誦句 より

「悔しいけれども、どうにもしようがねえ。ずっと唸っているだけなんだ。油汗はたらたら出てくる。「ハハハハッ。なあ、鬼。鬼のかなわねえのは鐘馗(しょうき)だって話を聞いたなあ。ハハッ、俺が鐘馗だ。おう、立っているだけじゃ夜が明けるぞ。俺は構わず前へ進んで行くぞ。てめえ、そこに立っていると、喉が突き抜けるぞ。突かれるのが嫌だったら後へ引きやがれ。手をださず。行くぞ」。

 

 

・以下、webより

鍾 馗(しょう き)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。

 

鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。

 

・端午の節句に鍾馗様を祭るのは、魔よけのため

唐の国の玄宗皇帝がマラリヤにかかったとき、夢に小鬼が現れて楊貴妃の紫香嚢と帝の玉笛を盗んで逃げようとするところを、大鬼があらわれて食い殺したので、帝がおまえは何者か?と訊ねました。

すると「私は終南山の鍾馗といいます。官吏になるための採用試験に落第して自殺しましたが、丁重に葬られましたので、恩に感じて天下の災いを除く誓いをたてました。」と告げました。

夢から覚めると病はすっかり治っていました。喜んだ帝は、画家に命じて夢に見た鍾馗(ショウキ)を描かせました。

 これが日本に渡来してきて、五月の節句の魔よけとして飾られるようになりましたが、なぜか関東中心で、京阪にはあまり見られません。

 

江戸では山王祭り、神田祭その他の山車の人形に鍾馗をよくつかったので、おなじみとなったのでしょう。