240.又辞シリーズ「十牛訓 第七図 忘牛存人 又辞 1967年 夏日」

第七図 忘牛存人(牛のことを忘れる)です。人と牛とが一体となった段階です。

 

・以下、webより

人と牛とが一体となった段階をあらわしています。牛は、追いかける目標でもあり、本来の自分の姿でもあります。そして、牛は存在しないのではなく、かくれていただけです。雲が晴れて月があらわれるように、はじめから自分の中に牛はいたのだと「十牛図」は教えます。

このことに気づくことを、仏教では「さとり」といいます。でも、牛を探そうと思わなければ、自分のことすら分からないままです。

 

購入先の文章は以下の通りです。

 

・以下、湘南堂書店(購入先) より

 

十牛訓 第七 忘牛存人 之又辞

 歸来何処不家

 山物我相忘鎮日

 閑須優通玄峰

 頂上箇中渾

 不類人間

一千九百六十七年 夏日 天風

 

歸:「帰」は旧字体。この左側の部分からまず「止」が省略され、さらには残された部分(「追」から「しんにょう」を省いた形)が、「自」へと変化しました。

渾:まじる/すべて/にごる/盛んに水が流れるさま

 

 註

帰り来れば何れの処か

家山ならざる物我相忘れ

終日閑なり須らく信ずべし

通玄峰上のほとりこ(古)の中

すべて人間に類せず

 

 

  花押