65.「心鏡如水動中静観」(心鏡水の如し 動中に静を観る)

 

 心鏡を水(上善)のように柔軟性を持ち、動いているときにも心穏やかに状況を観る。今、この活き方が必要です。安定打坐(天風式坐禅)をして霊性心を発揮することが大切です。

 

 

 

 「静観是在動中」について、天風先生は以下のように説明されています。

 

「例えば、汽車に乗って居る時、車体は疾(はや)い速力で走って居るのであるが然(しか)し、乗っている自分自身も、同時にそれと一緒に同じ速力で走りつつある事を、多くの場合一寸自覚しない。是と同様に地球が動いて居る以上、其の上にある山が、不動と云う事は絶対にあり能わぬ事であるが、それをそう自覚しないのは、是即ち人間の仮相に対する妄相念が然らしめるからである。

 

 予が、諸子に御奨めする「安定打坐密法」なるものは「動中の静」と云う一境涯中に在って 活動本来の心性を寂修する一工夫なのである。」(「安定打坐考抄」p32より)

 

「付記―この意味は、「人は本来活動するものである。活動しながら、静かな心をうしなわない一つの工夫」ということ。」(沢井敦弘先生ブログより)

 

 

 

・上善如水:最高の生き方は水のよう。それは古代中国の哲学者老子の言葉。 「上善は水のごとし、水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る。」 人間の理想的な生き方は水のように様々な形に変化する柔軟性を持ち、他と争わず、自然に流れるように生きること。

 

・動中に静あり:動いているときにも、心穏やかに、周りの状況を把握すること。