木曜行修会 「執着」  山本正徳         2019年8月22

 

 ・「真人生の創造」第三章「心」とは より抽出

・心:「肉性心(にくせいしん)」と「心性心(しんせいしん)」

Ⅰ.肉性心(肉体についている心):第一「物質心」、第二「植物心」、第三「動物心」

1-①「物質心」物質の心:あらゆる物質を形成する根本中心になっている心

1-②「植物心」植物の心:一切の植物以上の生物に共通している心。

 1-①と1-②は、実在意識領に出て働かないで、心のお蔵の中である潜在意識の奥深くに潜んで働いている心。

 

1-③「動物心」動物の心(本能心):肉にくっついて働いている心の中で心の表面 に表れて盛んに活動する心。肉体生命に存在する五官感覚を支配(知覚、感応性能)。原始欲望(「食欲」「睡眠欲」「性欲」)。

Ⅱ.心性心(精神についている心):第一「理性心」、第二「霊性心」

2-①「理性心」:人事世事一切の人間生活に関係する事柄に対して、「推理」と「考察」を行う働き。

2-②「霊性心」:別に学問しなくても経験しなくとも、学問した人よりも経験のある人よりも、尊い思い方や考え方のできる いわゆる霊感だとか霊智の作用、霊能力のような特殊な心理現象、すべてはこの霊性心から発動する。悟りや確固不抜の信念の状態も、この尊い階級の霊性心という心からでる心理現象。

 

・霊性心を出すには:安定打坐をする。

・心に使われて生きてはならない。霊性心が常により多く発動していること。

・自己とは:「真我」。本当の我。

・真我:生命の根本要素を成す霊魂と称する一つの気体。形はない。

 

・実在意識領域に働くのは:本能心以外に理性心と霊性心がある。本能心が実在意識領を占領すると、融通性がなくなる。また、本能心の特有な本能的欲求が無制限に暴れ回る。しかも、この本能心・本能的欲求は、満たされない場合が多い。あれが欲しい、これが欲しいとなり、満たされないと、心の中に自暴自棄、ヤケクソ、捨て鉢になる気持ちや不平不満、この心持ちが心の中をかき混ぜる。

 少しも感謝も喜びも人生に感じられないという気持ちになる。

 

雑念、妄念が消える

 肉体本位に作用する本能心、精神本位に作用する理性心、霊性心は、すべての心を自分の生命の付属物、生きるがために必要な道具。

 自分の正体:肉体でもない、心でもない、一つの気。

●「霊魂という一つの絶対的な力のある気が生命の一切に対して支配権を持つ。」という真理を正しく自覚する。

⇒心の中に雑念や妄念、邪念が発生しなくなる。それでまた発生してきても、それを思うように取捨選択することができるようになる。

・必要のないことは物事に執着しない、太刀風三寸 身をかわす。必要ないものは、すうーっとかわす。例えば急行列車のような勢いのいいもんでも、ばーっと飛んできても、そいつに触れさえしなかったら、どうでもない。

 小さな蝿が飛んできても、こっちから突き当たるからいけない。

 

心を使いこなすのは「理性」ではなく「意志」

 実在意識領に心を使いこなしていける権能のあるものを呼び出す必要がある。

⇒使いこなせるのは、霊魂についてる「意志」。西洋の「知・情・意」ではない。この意志は、霊魂についてる霊魂付属の固有性能。

 理性はものの善し悪しを分別することができても、使いこなしていく力はない。

 意志は真我の属性、意志が強い弱いというのは、これは意志そのものの強弱をいうのではなく、意志のちからの発現の強いか弱いかを指す。

 

●意志を発現されるには:第一に意志の集中ということを現実にする修練をして、意志の力の発現を容易にする習慣をつける。意志の力は意志の集中を習慣づけると、極めて自由にそして極めて強固に発現するようになる。そして意志のちからが一度完全に発現すれば、心は自由にこの命令に服従し、又自由に支配されることが出来るようになる、任意の操縦ができるようになる。

 

 しかし、くれぐれも注意しなければならないことは、決して急がない事。くたびれたら休み、進歩を焦るのではなく、むしろ一歩一歩を堅実に進むこと。