2017/5/11木曜行修会 「依頼心を捨てる」  

服部嘉夫先生投稿

 

釈迦が亡くなる間際、弟子が「師が亡くなられた後は何を頼りに生きたらいいのでしょうか」と尋ねた時、釈迦が云った言葉が「自灯明じとうみょう、法ほう灯明とうみょう(自みずからを灯明ひかりとせよ、法おしえを灯明ひかりとせよ)」です。

このことは配布の資料でお解りのように、夜道を歩いていて足元が真っ暗になったら、進むのをやめるか?それとも後退りするか、どうすれば良いかと云う事です。

 暗いと云って不平不満を云うよりも進んで明かりをつければ良いのです。その時は自分自身が灯明(自灯明)だと信じて前に進めば良いのです。自分の灯明こそ「信念」です。もし道を間違えたり、失敗したり、自信がなければ、他に頼ると云う依頼心を捨てて法に従え(法灯明)と云う事です。

 

釈迦が云った言葉に「如来は香華を持って供養を受けず、法を行ずることが供養である」とあります。天風先生もご生前「天風死すとも法は残る」と申しておられました。

 先生ご存命中、会員の実業家が先生にご相談されました。どんな相談かと云うと「現在の事業を拡大して、上手くいくかどうか」と云う事です。そのとき先生は咄嗟に「お前はどう思う」と逆に尋ねられました。その実業家は「自分は時期尚早と思いますが」と云うと先生は即座に「ではやめろ」と云われました。天風先生は易者に頼る運命判断を著しく嫌いました。

 

自分の運命の責任者は自分です。天風先生はよく云われます「自己を作るものは自己なり」と。自分の運命が自分以外のところで勝手に作られては困ります。「天は自ら助くる者を助く」と福沢諭吉も云っています。

 「あの人は運が良い」と云われる人は、判断力が優れているからです。

 判断力を養うのは「お前信念が強くなる」と云う、観念要素の更改法と安定打坐法です。

資料の末尾に記されてありますように、禅者は「坐る(安定打坐)」ことによって、この自灯明を自分の心身に感得できるのです。

 

一に実行、二に実行、天風教義の実践に努めてまいりましょう。