「随処作主」 木曜行修会 服部嘉夫
2017年6月22日
「随処に主と作れば、立処皆真なり」とは、臨済宗を創始した臨済禅師の言葉と云われています。「随処作主」の意味は、どこでも自分が主役やリーダーになると云うことではなく、常に真実の自己を見失うなと云うことです。
私達は外界からの過剰な刺激、情報により、心は常に雑念、邪心になり多念多心です。どんなところでも環境、境遇などに左右されずに主体性を保つと云うブレない真の自分を作るには、どうすれば良いのでしょうか。それはずばり、天風会で教えられる安定打坐法です。
安定打坐法は、天風会の三大密法の一つです。密法とは隠された教えと云うことではなく、最も大切な教えと云うことです。安定打坐法は、天風式座禅法とも云われ、その目的は多念、多心の心を無念、無心にする方法です。無念とは雑念のない心であり、無心とは邪心のない心です。それでは何があるかと云うと、人間の本当の心である誠の心、本心(道徳的に展開されると良心と云う)天風会で云う霊性心が煥発されます。多念多心の心を一気に無念無心の心にするにはなかなか困難です。中村天風著「安定打坐考抄」にもあるように、それは高い塔の上で、地上の人にここまで登ってこいと云うように無理なことです。しかし天風先生は梯子を架ければ容易にできると申されます。古来より先人覚者は、多念多心の心を一念一心にする無我一念法を試みました。視覚法、唱誦法、呼吸法、想観法、祈念法、座禅法、等です。天風先生はこの中の聴覚を用いて、単的に的確に安定打坐の境地になる方法を創見されました。これが電動器を用いるブザー方式です。ブザーの音は、かなり多きく鼓膜一杯に鳴り響きます。だから誰しも他の事は考えず、音だけを一心に聴き入ることができます。音が切れた瞬間、静寂な静かな境地(天風先生はトランスの状態と云われる)を味わうことができます。その状態が無念無想の心即ち三昧境地です。
臨済宗の公案にも「常に何も思わぬは佛の稽古なり、何も思わぬところから何もかもすれば良い」とあります。天風先生も「何事をするにも安定打坐」と云われています。天風先生は真理のひびき箴言九で「安定打坐法は正当なる思慮と断定とを生み出す絶対的密法であるから、其心して践行に努力すべし」とあります。日常の生活の中で、安定打坐法の実習に努めましょう。