(めい)()(すい)(ぶつ)」 木曜行修会     服部嘉夫

                        2017727

 

 「これは「己に迷って物を()」と読みます。意味は「何事をする時は、先立って行って、自分を見失ってはいけない」と云う戒めの言葉です。「物事を行う時には、自分を忘れて行いなさい」と云う事です。自分を忘れるとは、人生を生きて行くのに、物や金、地位、名誉等の私欲にとらわれず、雑念、妄念を捨てた状態で、何事も行いなさいと云う事です。

 天風先生は「忘己観物」と云われます。そして続いて「忘物観道」と加えています。物事をするには、真理に従って行えと云う事です。「忘己観物、忘物観道」とは自分を忘れて物を見たら、今度は物を忘れて道(真理)を見なさいと云う事です。

 「忘己観物、忘物観道」は、中村天風述「盛大な人生」の第五章大事貫徹「十牛図」演繹(えんえき)の中の第七図「忘牛存人」の項に示めされています。「十牛図」とは、今から八〇〇年前(釈迦誕生一、二〇〇年後)中国の常徳府の梁山(りょうざん)にいた(かく)(あん)()(おん)の作と云われています。禅宗の教えの修行の段階を一人の牧童と牛を用いての画で示しています。牛は禅では、会得すべき「本然の自性」で統一道では「自我の本質(霊性心)」を譬えています。

 

 この十段階の内第七番目「(ぼう)(ぎゅう)(そん)(にん)」は、牛がいないで牧童のみがいる絵です。修行が進んで雑念妄念がとれて、純一無雑の境涯になったところです。牛はいなくても、修行をしようと思わなくても、三昧の境地に没入し真実の人生を活きている状態です。この状態をに譬えて「よしあしとわたる人こそはかなけれ、ひとつなにわのあしと知らずや」又古歌に「忘れじと覚えしうちは忘れけり、忘れて後が忘れざりけり」とあります。