「一無位真人」 木曜行修会  服部嘉夫

 

 

                          2018322

 

 

 

この語は「いちむいのしんじん」と読みます。臨済禅師の言葉です。「一」は数量ではなく、普遍と絶対を高める意味です。

「無位」は位置、階級がないと云うのではなく、座禅で云う「いつも、どこにもある」と云うことです。

「真人」は臨済宗では「(ほとけ)のことを云います。

「一無位真人」の意味は、私達の身体には 時間と空間を超えた真実の人間(神・仏・宇宙霊・主人公)が常に存在していると云うことです。

天風会で云えば「吾が生命は宇宙霊の生命と通じて居る」

「吾が生命は 宇宙霊と一体である」と云うことです。

その「見えざる実在」を感知するには 座禅せよと云われます。

臨済宗では、座禅をして「おん身らよ、いつどこにもあって、常におん身らの中に眠っている もう一人の自分(ほとけ)にめざめよ」と云われています。もう一人の自分は、人間の心の奥底にあって 最も純粋な穢れのない清らかな人間の本当の心です。天風会では、本心・良心と云います。

 

この心を 発現するには安定打坐法を厳修することです。