「一日不作 一日不食」 木曜行修会 服部嘉夫
2018年4月12日
この言葉は「一日作さざれば、一日食わず」と読みます。中国唐代の高僧であった 百丈懐海禅師の言葉です。
禅宗は坐禅行ばかりでなく、日常の生活行事としての作務(仕事)があります。百丈禅師が80歳を過ぎても、弟子達に先立って、作務をしていたので、弟子達は師を案じて、作務を休まれるよう進言しましたが、一向に止めません。そこで弟子達は百丈禅師の作務の道具を隠したところ、作務はやめましたが、食事はとりませんでした。その訳を伺うと「一日不作、一日不食」と云ったと云うことです。
一日作務(仕事)をしなかったから、一日食はない」と云うことですが、一般的に云う「働かざる者は食うべからず」と云うことではありません。
世間で云う「生きる(食う)ために働く」のではなく、人間は「働くために生きる」のです。これが真理です。
この世に生きるのに、自分一人で生きていかれません。「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人してまた草鞋を作る人」と云って、世の中は「持ちつ持たれず」です。自分の身の廻りの品々は、人様にお世話になったものばかりです。だがしかし、「一つだけは私に任せて下さい」と云うのが職業(仕事・天職)です。人の世のため役立つ即ち傍を楽にさせるから 働くと云うのです。
百丈禅師は、働くことが出来ないから「食うべからず」ではなく、人様に申し訳なく、「食べられない」と云ったのです。
私達も創造的職業観をもって、人の世のために役立つ自己を完成することに努力しましょう。