115.「誦句集 不幸福撃退の誦句」
「私はもう何事が自分の人生に発生しようと 決して徒(いたず)らに心配もせず 又悲観もしないように心がけよう。
それは徒らに心配したり悲観したりすると すればする程その心配や悲観する事柄が やがていつかは事実となって 具体化して来るが故である。
神仏と名づけられて居る宇宙霊なるものの心の中には 真善美の以外に心配や悲観というような消極的の心もち(持)は夢にもない。
私はその尊とい(神の)心と通じて居る心をもつ万物の霊長たる人間である。
従って私がこの自覚を明瞭にした以上は 下らぬ事に心配したり 悲観したりする必要は更にない。
人はどこまでも人としての面目を発揮せぬと 人間の第一つらよごしである。
人間が人間らしくある時にのみ 人間の恵まれる幸福を享け得る。
だから私は神の心と神の力に近寄るために 心配や悲観という価値なき事を断然しないことにする。
そして真理に則した正しい人生に活きよう。」
運命を拓く 第11章 勇気と不幸福撃退 には、以下のように述べられています。「宇宙の根本主体である、神仏と称されるものの中には、”真””善””美”以外に心配や悲観というような心持ちは夢にもない。」と述べられています。宇宙霊のこころ”真””善””美”に従って生きることが大切です。
勇気の誦句が、この誦句集にないことに気づきました。運命を拓くの「第11章」は、「勇気と不幸福撃退」となっていました。不幸福撃退の対策が、勇気なのだと教えてくださっています。
「人生を完全に生きるのに必要な各種の要項の中で、第一に必要なことは、何事にもやたらに悲観したり心配したりして、すべてのことを消極的に思ったり考えたりするのを止めることである。常日頃、あなたがたが当たり前のように思ったり考えていた心配や悲観、それが決して当たり前でないということを悟ることにしよう。
病のとき、心配すればするほど回復は遅い。また不運のとき、悲観すればするほど、よりいっそうよくない事実が現実に来る。
心配や悲観をする癖がつくと、悪い習慣だけど何を考える時でもやたらと取越苦労をする。取越苦労をすると、物事をやたらと消極的におおぎょうに考える。あれがああなってこうなって、こうなってああなって、ああペシャンコだ、というふうにね。
だからかりそめにも、生まれ甲斐があり、生き甲斐のある人生を活きようと欲するならば、何よりも一番戒めなければならない大切なことは、心配や悲観、これは断然、禁物だと思わなければならないのだ。
宇宙の根本主体である、神仏と称されるものの中には、”真””善””美”以外に心配や悲観というような心持ちは夢にもない。その神の心と通じている心を持つあなたがたが、この自覚を明瞭にしなければならない。そのことが明瞭になれば、下らぬものを心配したり、悲観したい必要は、さらになくなってしまうのだ。
勇気は常に勝利をもたらし、恐怖は常に敗北を招く。
断じて行えば、鬼神もこれを避く。陽気の発するところ 金石もまた透(とお)る。
理屈は抜きにして、”たとえ、どんなことがあっても、断然、勇気を失うことなかれ”これがモットーなのである。
そうなるには、観念要素の更改を真剣に実行するとともに、普段から、出来るだけ勇気凛々たる人間と交際するように心がけることである。」(運命を拓く 第11章 勇気と不幸福撃退 より)