128.「十牛訓 第六 騎牛(きぎゅう)」
今回は、「十牛訓 第六 騎牛(きぎゅう)」です。
十牛訓も後半になりました。山場に向かいます。
背中の上に乗って、のんびりと笛を吹いて、牛とともに楽しみながら家に帰れるようになった状態です。牛(=人生真理)を大分把握し、コントロールできるようになっています。
「「らしく生きろと」。心身統一法(人生真理)を学んだら、学んだものらしくしなさい。理想の実現・成就は、できないことをできた格好にしちまうんだ、頭のなかで。そうすると人間が人間らしく本当に生きられる。現在を楽しんでいる人が幸福なんだ。」と天風先生はおっしゃています。
現在を楽しんで、「天風会員らしく」人生真理に基づいて活きることが大切です。
・第六 色紙表面
「十牛訓第六騎牛帰家之頌
騎牛迤邐欲還 家羌笛声ヽ送 晩露一拍一歌無 限意知音何必 皷唇牙
一千九百六十六年雨亭 天風」
・第六 色紙裏面
「註
牛に騎して迤邐(いり)として家に還らんと 欲す羌笛声ヽとして 晩露を送る一拍一歌限りなきおもい知 音なんぞ必ずしも唇牙を皷せん 花押」(読みは、湘南堂書店より)
注:「邐迤(りい)」は、曲がりくねって続くさま。長くつらなるさま。迤邐(いり)は、webに載っていませんでした。
・以下、「盛大なる人生」(第五章 大事貫徹 より)「第六 騎牛帰家」です。
「今までなっかなか手なずけることのできなった荒牛も、次第しだいに飼い主の思うように馴れてきて、もはや背中の上に乗って、のんびりと笛を吹いて、牛とともに楽しみながら家に帰れるようになったわけだ。
詩のほうは、
「かえりみる遠山道の雪きえて 心の牛にのりてこそゆけ」
これを心身統一法のほうでいうと、もうちゃーんと日々の人生が、あえてたいして注意しなくとも、また努力しなくても、知らないあいだに心身の統一の正しい境地に生きられるようになったというところなんだ。
「騎牛」、いわゆる牛に乗るという意味、すなわち人間の求める正しい獲物とは、何だろう。人間の欲しいと思う正しい獲物とは人生真理だろ。
安心立命の大義は、「らしく」なされ、「らしく」生きなされ。これだけじゃ。
理想の実現、成就は、できないことをできた格好にしちまうんだ、頭のなかで。そうすると人間が人間らしく本当に生きられる。
現在を楽しんでいる人が幸福なんだ。」(「盛大なる人生」第五章 大事貫徹 より)