153.「暇(いとま)なき身にも 朝夕いそしまめ 教えうけたる道(みち)のためには」

 天風道の実践を今行うことの大切さを教えてくれています。

 叡智のひびき・箴言3の最後に天風教義の実践に努力せよと、以下のように言葉があります。

 

勿謂今日雖不行有来日(いうなかれ 今日行なずといえどもまたの日があると)

勿謂今年雖不行有来年(いうなかれ 今年行なずといえども来年もあると)

日月忽去歳年再不帰来(月日というものはたちまち去って二度と来ない)

行而勿倦人生之真定道(倦()きずに行うというのが人間の本当の安定の道)

ともすれば おこたちがちになるものぞ こころすべきは こころなりける

 

 この言葉は、南宋の、朱熹(しゅき:1130年~1200年)の「勧学文」を元に作っていると考えます。朱子(しゅし)は尊称。

 

 勿謂今日不學而有來日(謂う勿れ 今日学ばずして来日有りと。意味:言ってはならない、今日学ばなくても明日があるさ。)

 勿謂今日不學而有來日(謂う勿れ 今年学ばずして来年有りと。意味:言ってはならない、今年学ばなくても来年があるさ。)

 日月逝矣歳不我延(日月(ジツゲツ)逝(ゆ)きぬ 歳(とし) 我と延(の)びず:意味:月日は過ぎ去っていき、歳は自分と一緒に延びてはくれない。)

 

 嗚呼老矣是誰之愆(嗚呼(ああ)老(お)いたり 是れ誰の愆(あやま)ちぞや:意味_ああ、われ老いたり これは一体誰のせいなんだ。)