166.「寸陰是惜」
「寸陰(すんいん)是(これ)を惜(お)しむ」は、出典は『晋書』です。
意味:わずかの時間も大切にするということ。「寸陰」は、わずかの時間。
天風先生は “時” について、真理のひびき 箴言16「時は 金なりという諺があるが 真実に於て 時は 金よりも 貴重な尊とさがある」で、「瞬間といえども軽々に徒費すべきでなく、心して有意義に使って活きるべきだと厳かに自戒していただきたい」と書かれています。時間を大切・有意義に使用することが大切です。
真理のひびき 箴言16「時は 金なりという諺があるが 真実に於て 時は 金よりも 貴重な尊とさがある」p152
たとえ百歳まで生きたとしても、実際の人生生活の時間というものは、人によって多少の相違があろうが、その半分以下のものであると言える。
現に英国の小説家で、有名なアーノルド・ベネットの言葉に「A man of sixty has spent twenty years in bed and over three years in eating.」 という、風刺でない人生の実際相を如実に表現したものがある。
右の言葉はすなわち、「六十歳の人は二十年は寝床の中で、三年は食事に費やす」というものであるが、この言葉を考えても、実際に営まれる人生生活の時間は、差し引き三十七年という僅かなものになるが、それは運命も健康も順調の人の事なので、万一不運や逆境に陥ったり、不健康になったり入院したり、または仕事ができない闘病生活をしたり、または怒ったり泣いたりして生活の安定を破壊する時間を差し引くと、どうだろうか! 残る時間=実際の生活の=というものは実に実に短いものになり終わるだろう。
こうした事実を慎重に考察すると、極言すればあくびする時間も、くしゃみする時間も、取り返せないのである以上、瞬間といえども軽々に徒費すべきでなく、心して有意義に使って活きるべきだと厳かに自戒していただきたい。」(真理のひびき 箴言16 より)