207.「修心」
「修身」という言葉は、一般的にありますが、「修心」という言葉はありません。「身を修めること」に対して、「心を修めること」となると考えます。
叡智のひびき 箴言10「天風教義は是を修行として行なったのではおよそ第二義となる 只一念それを生活行事として行う時完全に第一義的のものとなる」とあります。「心身統一法という教義を、日常生活行事と引き離して、何か特別のときに特別の気持ちで行う、特殊行事のごとく思惟している人がいる。」心を修めるとは、「心身統一法という教義を、日常生活行事」として行うことだと思います。
以下、叡智のひびき 箴言10 より
「天風教義は是を修行として行なったのではおよそ第二義となる 只一念それを生活行事として行う時完全に第一義的のものとなる」
あのとき先生に訓(おし)えられて一生懸命実行して、御覧の通り健康もさらに運命までも、今まで想像しなかったほど、幸福になりましたと、眼に涙をいっぱいためて礼をいいましたが、これは要するに、最初の間は心身統一法を、特殊の人生修行と考えて行修していたからなので、したがって、どうしても、その効果が充分に味わえなかった。
ところが、今度はそれを日常の生命道として、人生の刹那刹那に専念実行したから、当然、第一義的の行修となったゆえに、その効果も、必然の現象として本然の生命力の完全発揮となったのである。
だから、諸君もこういう事実を、貴重なる殷鑑(いんかん:いましめとすべきこと)として、この上とも瞬間といえども「われ在り」との人生意識を感じた際は、どんな場合にも日常生活行事の中から心身統一の各法を、決して分離させないで、ただただ実行すべきである。」
・以下、webより
修身(しゅうしん)は、「身を修めること」を意味し、第二次世界大戦前の日本の小学校(戦前期は尋常小学校、第二次世界大戦中は国民学校)における科目の一つ。1890年(明治23年)の教育勅語発布から、1945年(昭和20年)の敗戦まで存在した。イギリス等の宗教教育や戦後日本の道徳教育に相当するものである。