2017年5月25日 木曜行修会 「残心」
服部嘉夫先生投稿
「残心」という語は、真剣抜刀術の用語です。
天風先生は九州柳川藩に伝わる随変流抜刀術の名手でした。
抜刀術を稽古する際「最初から最後まで、一貫せる心構えを忘るる勿れ」と戒める言葉です。
格言にも、「終りを慎むこと始めの如くあるべし」とあります。
天風先生が「残心」の言葉をお使いになっているのは、修練会後の心掛として、先生のご著書「哲人哲語」の中で「残心偈」「再叙残心偈」「三叙残心偈」と3回に亘り、厳しく戒められています。
修練会に参加し、生命力が充実したことを実感し、大いに感動することは素晴しい事ですが、一瞬の感動、感激はすぐ消えるものです。この感動を持続させることが、もっと素晴しいことです。
修練会で熱心に修行し、悟ったと思っても「これおしも悟の峰と思いなば、迷いに下る始めなりけり」と云われ、すぐに、元の木阿弥になってしまいます。
「継続は力なり」と云われるように、修練会の間だけの実行じゃ駄目で、どんな場合でも、一意専心、黽勉努力実践躬行ということを忘れず、天風先生は 毎週一度の日曜行修会への参加をお勧めになりました。
時あたかも「三叙残心偈」をお書きになられた昭和30年9月より天風先生の命により、第4代会長になられた杉山彦一先生が恵比寿の日曜行修会でご指導されました。これが現在の東京の会の日曜行修会の草分けです。
後にいわき賛助会で「心身統一法の研修会」が東京の夏期修練会が終った九月の初に行われましたが、2泊3日の研修会が終わり、最終日帰宅して、お礼のため当時の平野代表にお電話すると、「私も今「残心会」をやって帰宅したところです」と返事が返って来ます。これは慰労会の一杯会であって、「残心」ではありません。しかしいわきの会員が心を一つにして、研修会の盛会にあたって、今後のいわき賛助会の発展のため盛り上がった「反省会」なら結構のことだと思います。