「莫妄想」 木曜行修会      服部嘉夫

 

                        201768

 

 

 

 中国唐の時代に無業(むごう)禅師は、誰に対しても「(まく)妄想(もうそう)」と唱えたと云われています。莫妄想とは、妄想することを(なか)れと云う意味です。現実からかけ離れた空想や夢想をしたり、考えても仕方のないことを、あれこれ思い悩むことをしないで、過去や未来を思い悩まず、今に集中せよと云う事です。

 

 東洋の哲人中村天風先生は、人間が積極的に活きる方法として、感応性能を積極化せよと云われ、三つの方法即ち観念要素更改法、積極観念養成法そして神経反射調節法の三つの方法を教示されます。その中の一つ実在意識から積極化する方法の積極観念養成法は、五つの項目があります。(1)内省検討 (2)暗示の分析 (3)対人精神態度 (4)取越苦労厳禁 (5)正義の実行です。

 

 この中の取越苦労厳禁が「莫妄想」です。苦労は無駄な心の使い方です。今自分が思っていることが消極的な心の使い方としているが、厳重に検討しなくてはなりません。苦労には三種類あります。過去苦労、現在苦労、未来苦労です。三番目の未来苦労が取越苦労です。株価がこんなに下るなら早く高い内に売っておけば良かったと過去にだけ心が向いている人は進歩も発展もありません。街を歩いている時、消防自動車を見ると、外出時に火の始末をしてきたか心配する人がいます。只今現在何時もくよくよと心配し苦労している人は、見る物聞くことが全て苦労の種、心配の材料となり、現在を有意義に過すことは出来ません。将来のことについて、あれこれと無用の心配をすることを未来苦労と云い、これが取越苦労のことです。昔杞の国に三人の人がいました。一人は天をじっと眺めて、天が何時落ちてくるか心配で見つめていました。もう一人の人は下をじっと眺めて、地が何時崩れるか心配で見ていました。三人目の人は、天を見ている人と地を見ている人の両方見つめていたと云われます。これを杞の国の三友と云い杞人の憂い(杞憂)と云われています。「あゝなるとこうなり、こうするとあゝなって、これはいけないもうだめだ」と消極的で悲観的な思考でいくら考えても創造的、建設的な考えがでてきません。心は現在只今のことに対して、明瞭な意識で集中して使わなければなりません。昔の故事に「過ぎたるは追うべからず、来たざれは向うべからず、心は常に現在を要す」とあります。