天風会の魅力「長く続くには訳がある」木曜行修会 服部嘉夫

                          20181025

哲人天風先生の御教えは実践道です。天風会四代会長 杉山先生は「やった者とやらない者では、差がつかぬ筈はない。」と云われました。

教義を実践実行しなければ効果はでません。天風先生も「努力はむくわれる、やらなければ結果はない」と良く申されました。昔から「継続は力なり」と云われます。私が57年間天風会員として、継続したのは、何故かについて申します。

私が入会当時、天風先生は良く次のように申されていました。「会社の社長さんが、部下に良い話をする講演会があるから付いて来ない。帰りに寿司をご馳走するから」と云って天風会に来た者は長続きしない。病とか不運で困って入会して、教えを実践して、病が快癒した者か不運でなくなった者は長続きする」と。

現在健康で幸福な人は、天風教義の価値観がわかりません。天風先生は「豚に真珠」とか「鶏にダイヤモンド」の諺を申していました。天風教義を正しく実践すると効果が表われます。実践に当り教義を理性で理解していたのでは、何事も成就しません。

理解(comprehension)は自己の知識として取り入れる理性的 心の働きであり、批判をする余地があります。理屈は判ったが私はそう思わないと否定的な態度をとることができます。理性で受け止めると「目ざるで水を(すく)う」のと同じで、残るものは何もなく、自己革新はありません。

天風教義は実践哲学と申しました。実践へと駆り立てる意志を発動させるのは、精神的感動を伴う自覚(response)です。

自覚は「あゝそうなんだ!」と瞬間刹那 魂を揺さぶられるような感動に浸り、涙が滂沱(ぼうだ)として流れるものです。自覚すると、その人を奮起させ、情熱を沸き立たせ、奮い起こし、行動に駆り立てリアリストにさせます。自覚的受けとり方をするには、明瞭な意識でこだわりのない素直な気持、所謂(いわゆる)安定打坐の境地、即ち本心で受けとめなければなりません。夏期修練会の真理瞑想行ではノートを取るな!と云われました。

私が天風会で長続きした秘訣は、私の父が、私が天風会に行くことを反対していたことです。父は私に「何故、天風会に行くのか」と尋ねました、私は「病を治すためです」と云いますと、父は話を聞くだけで病は治る筈はない。と云われました。私は父に反対されても天風会に行く以上、行った時に何か一つでも教義を身に付けようと考え、貪欲に教えを吾がものにしようと心掛けました。そして天風会の催しはなんでも参加しました。

夏期修練会の時も、朝4時(当時は自宅が築地に近かったので)には店に行き、ひと働きし、7時に店を出る時、父に「天風会に行ってきます」と云うと「行ってきなさい」とは云わず「うん」と云った時は良い方で、ほとんど何も答えてくれませんでした。母にその事を云いましたら、お前が求める天風先生の真理の教えも、私が教会で教わる教えと同じだから、あなたの代わりに私(母)が、店に行ってやる」と云いました。

母が店に来ても、仕事の役は務まりませんが、父の火消し役になったと思います。その後母に代り、子供も大きくなり、家内が私に代って店へ来てくれました。

話が変わりますが、母が通っていた教会は、東中野にあり、その牧師さんは木下先生と云うお方で、以前湯河原教会の副牧師でした。そこの牧師が青木喜作氏で、杉山先生の叔父に当り、杉山先生が務めておられた湯河原中央温泉病院の理事長を務めておられました。

縁とは不思議なもので、その後になって 私の次男の嫁が幼少の時 東中野教会の幼稚園に通っていたことが分かりました。

その他 私が天風会で長続きしたのは、私自から 天風会と切っても切れない縁を自から結んだことです。昭和448月夏期修練会の輔導補に任命され翌年輔導に就任し、その後昭和47年主任輔導になりました。その頃講習会や夏期修練会の時に二代会長 安武貞雄先生を車で先生のご自宅から天風会館まで送迎する役を引き受けました。安武先生と私の信頼関係から安武先生は私に「安武が先に他界したら、鶴子(安武夫人・天風先生の長女)の面倒をよろしく頼む」と申されました。私は安武先生が他界された昭和543月から27年間 鶴子様が101才で亡くなる平成183月迄ご面倒を見させて頂きました。

その間 昭和54年(19792月評議員に就任翌年11月に講師を拝命しました。安武先生ご帰霊後は杉山先生が会長職を勇退される平成11年(19998月迄天風会の会合には車で、お送り迎えいたしました。その間 平成4年(19925月理事に就任、10年間務め、事情があり退任し、平成18年(20065月で理事を再任され、平成28年(20166月理事を定年で退任 顧問に就任 現在に至っています。天風会とのご縁を深めました。

私が幼少から青年の頃 身体が弱かったことを知っている父は、私が天風会に入会して教えを実践実行して風邪一つ引かず、病で寝た事が、無くなった私を見て、父の晩年は、只々感謝一念で活き、96才の人生を全うしました。

私が天風会に長続きした三つ目の原因は、先生、先輩と親しくお付き合いをさせて戴くことが出来たことです。

又同僚、そして後輩とも仲良くして心の友である心友になることに心掛けたことです。その結果、いいご縁で天風会の役員に任命さて、又後輩には結婚の媒酌人を頼まれ、今迄に5組の仲人をいたしました。(伊藤、稲松、今井、野上、竹田 の皆さん)

天風先生の教えが縦糸とすると、人間関係を横糸として、自から努力して天風会と云う布を織り成して構築して参りました。

天風先生は「会員として古いばかりが良い訳ではない。古くて良いのは庭の石灯籠だ」と良く云われていました。

 

天風会の先輩会員としてお手本になるべく、日々天風教義の実践に心掛けています。